小机邸訪問
2018年 02月 06日
例によって自分の足で歩いて見つける!というのがわたし流のやり方なので、駅の案内所で貰ったイラストマップを
片手に歩き出しました。武蔵五日市の駅に降りたのは初めて、全く知らない時期でしたから、さてどうしようかな?
右も左も判らない。。。そんな感じ(笑)まずは方向を見定めて歩き始めましたが、ちょっと遠回りになりました。
でも、おかげで偶然、この小机邸に出逢いました。一目で、ここは何だか違った時間が流れていると思ったのでした。
この素晴らしい石畳、門の奥に佇む瀟洒な西洋館、入り口には控えめに「小机邸喫茶室 安居」という看板がありました。
この日は生憎、休館日でしたがいつか必ず訪れてみたいと心に決めていました。
けれど、わたしのフィールドは奥多摩であり、なかなか再訪の機会が無いままに年月が経ちました。
最近、ガイドの山で武蔵五日市を訪れる機会が増えて昨年辺りからプライベートでも訪れるようになってきました。
つまり、安居を訪れるのは時間の問題となっていたわけです。
今回のコースを決める時、「まめちゃん、お茶するのは何処にしようか?」といくつかの候補をあげてみたら、
『安居に行ってみたいです。しずくさんも行った事がないところなんて、きっと二人ともワクワクすると思うから』
との答えが返って来ました。気遣いと心配りのできるまめちゃんらしいお返事に嬉しくなりました。
さて、お店というよりも、個人の邸宅という風格の小机邸、わたしたちはキョロキョロしながら入って行きました。
そして入り口で呼び鈴を鳴らすと、ほどなくしてお隣の住宅から、ご夫妻が現れました。
始めて来た時、『今日はお休みですが、金・土・日はやっていますよ』と教えてくださった上品な奥様と、
とても紳士的なご主人様でした。
『さぁさぁ、中へどうぞ!』と勧めてくださっているのに、わたしたちは庭に立つ大きな松の木を見上げていました。
ご主人は、この松の木についてお話をしてくださいました。樹齢は100年ぐらいだそうです。
なんと、とっても大きな松ぼっくり〈15センチぐらい)が生るそうで、花梨と一緒に置かれていました。
そして、松葉は3本に分かれているのです。長さも15センチはあるでしょうね。初めてこういう松の木を見ました。
(米松と言う種類ではないかとFBのお友だちが教えてくださいました。)
土間に入る時、奇妙な動物が入り口に飾られていました。
『あの動物は何だと思いますか?』と、ご主人に聞かれ、わたしたちは考えました。
「鼻が長いから象ですか?」と、わたしたち。『うん、似てるけど違いますね。何かを食べてくれる動物です。』
「何かを食べてくれる?何をですか?」『夢を食べると言われている動物です。』とご主人が悪戯っぽく笑います。
「夢を食べる?獏?ですか?」『そう、獏です。』「でも、夢を食べちゃっていいんですか?」
『この場合の夢は、夜見る夢の事で、獏は、悪い夢を食べてくれるという伝説上の動物なのです。
つまり、玄関で悪い邪気を食べてくれるという意味なんでしょうね。』とご主人。へ~!!なるほどです。
そして、土間の壁には、真っ赤な目をした白兎が二兎、妙に生き生きと描かれていました。(漆喰絵と言うそうです)
「この兎はどうして描かれているんですか?」とわたしたち。
『さぁ、どうしてでしょう?この家を建てた当主と関係があります。』
「ご当主が兎が好きだったとか?」
『うん、近いな!当主が兎年だったからです。鴨居には兎の釘隠しもありますよ。』
このやり取りで、わたしはご主人のユーモアのセンスと遊び心に、とても好感を持ってしまいました。
そして、明治の初めにこの西洋館を建てた曾祖父様の何とも素敵なお茶目さを感じてしまったのでした(^^)
小机邸は東京都の有形文化財に指定されているそうです。
教育委員会の説明文がとても判りやすいと思ったので抜粋しておきますね。
小机家は、江戸時代後期に山林業で財を成し、幕末頃から深川木場との商取引も盛んに行っていました。
この建物の建築年代は、明治8年(1875)頃とされ、当時の第7代当主小机三左衛門が、
商取引で訪れた明治の文明開化の銀座煉瓦街の洋風建築に大いに刺激され、自宅新築に当たって
洋風列柱廊や2階バルコニーなどを模して建築したと伝えられています。
建物は、木造2階建、土蔵造り、波型亜鉛引鉄板葺屋根で建築面積は、89.2㎡ です。
建物の南側にはローマン・ドーリア式円柱をつけた列柱廊と両開窓、2階にはバルコニーがあります。
間取りは、部屋が田の字に並ぶ伝統的な四間取りの形式を持ち、1階の玄関には、鏝絵と呼ばれる漆喰を
使った見事な兎の左官彫刻があります。また、2階への螺旋階段は繊細な彫細工が施されています。
外部は洋風な要素が見られますが、内部の意匠は和風で、当時生活を洋風化することは考えられて
いなかったことがうかがえます。土蔵造りの伝統的な技法の中に、洋風の意匠を取り込んだ建物であり、
明治初期における文明開化の和洋折衷様式の秀逸な一例であり、その特徴を知る上で重要な建造物です。
ご当主のお話しでは、幕末から材木商として、江戸に商取引で通っていた7代目当主の三左衛門さんが、
銀座の煉瓦街の西洋建築に大いに刺激を受けて、ご自宅を建設するのだけれど、まだ文明開化が始まったばかり。
ちょんまげや脇差を差した人々がいる時代の事だったそうです。そんな時代にこれだけの建築を成せると言う事が
どれほど凄いことだったのかと改めて感じました。ガラスや扉などは輸入されたと聞きました。
外装は西洋建築でありながら、内部の作りは土間を大きく取り田の字型に横並びの4室からなる日本家屋であり、
漆喰を使った土蔵造りとなっているそうですが、調度品や螺旋階段など大変貴重な文化財そのものでした。
東京から大きく離れた山里で文明開化の先駆けとしての役割を果たした7代目当主の三左衛門さんは、大変な文化人
であり、好奇心旺盛な夢追い人であったのではと思いを馳せたのでした。
なかでもこちらの螺旋階段は大変美しい美術工芸品でした。木の手すりに施された曲線や透かし彫りの技法など、
そして一段一段の階段に施された透かし彫りの板など、初めて目にするものでした。
窓辺に飾られたお花や、奥の喫茶室に活けられたお花など、大変美しく、心が和みます。
すべて、奥様が生けていらっしゃるそうです。お優しいお人柄を感じます。
暖炉などのある重厚な洋間の中にある、畳の和のスペースがなんだかとっても新しく感じました。
侘助と桜の一枝、ほのかな香りにまめちゃんが気付きました。
『最初に活けた時にはもう少し花数がありましたので、良い香りがしましたよ。』と奥様。
楚々としていて上品で、一輪の侘助の花のような奥さまでした。
まめちゃんは、抹茶と和菓子のセット、とっても美味しかったそうです。
茶菓のようかんは、東青梅の火打ち庵さんのものとか、ここでも青梅との繋がりが…)
わたしは日本産の紅茶とチーズケーキのセット
カップとソーサーの形がとってもお洒落でした。紅茶は癖が無くてとても美味しかったです。
果物が添えられたチーズケーキは自家製で大変美味しかったです。そして、後から伺ったのですが、
このチーズケーキは、なんとご主人が焼かれたのだそうです。びっくりです(^^)
ふたりで、写真を撮ったり、話をしたりしながらすっかり寛いでしましました。
この彫刻は、小引き出しのひとつひとつに施されていて、三引出すべてで一つの桜の樹の図柄になってます。
すごく素敵!!と思いました。美しい家具ですね。
そうそう、喫茶室の名前の“安居”について教えていただきました。
仏教用語で、インドの雨期にあたる三カ月間ぐらいを、托鉢などの外出する修行をせずに、寺などに籠って
経典などを読み修行する期間の事を安居と言うそうです。
雨の時期は雨安居(うあんご)雪の時期なら雪安居(せつあんご)との言葉もあるそうです。
『静かに心安らかに過ごしていただく場所と言うような意味で付けた名前です。』と奥様が教えてくださいました。
「本当に、わたしたち、すっかり寛いでしまって静かな時間を楽しませていただきました。」と席を立つと、
『お時間がありましたら、二階もご案内しますよ。』とご主人様。『え~!!本当ですか~♪』
なんと、願っても無いことと、わたしたちは二つ返事でご主人のお申し出をありがたくお受けしたのでした。
二階へ続く螺旋階段を登って行きます。まめちゃんもわたしも、ワクワクが止まりません。
顔を見合わせては、ニコニコしてしまいます。目だってきっときらり~んと光っていたことでしょう(笑)
螺旋階段を登り上げると、床張りの大きなお部屋になっていました。白い漆喰の壁には四方に大きな窓があり、
バルコニー側には、ガラス窓が付いたお洒落な木製の扉が並んでいました。
思い思いに寛げそうな、素敵なソファーや椅子が並んでいます。
そして、これだけの大きなお部屋なのに、柱がありません。では、どうやって屋根を支えているのか?
その答えは天井に渡された太い梁が支えているのだそうです。そしてその梁は西洋館の趣を壊さないように
全て白い漆喰が塗られているのだそうです。素晴らしい拘りですね!!
往時は、もしかしたらこの洋室で、社交ダンスパティなど繰り広げられたのかな?なんて想像が膨らみました。
このお部屋は、コンサートなどの会場ともなるそうでピアノや舞台を囲む様な座席も配置されています。
チェロのコンサートをした時、木の床に音が共鳴し、それは素晴らしい空間を演出したそうです。
素晴らしいなぁ…もしここで、いがり先生や稲岡さんのコンサートが出来たら素敵だろうなぁ。
すぐに、そんな妄想が膨らんでしまします。
そして、なんと、小机邸のご主人は、青梅のマッキーさんや、繭蔵のご主人ともお友だちであることが判明!!
なんだか、とても似通った雰囲気があって、もしかしてと思って伺って判った事でした。
すごいなぁ…こうして次々と不思議な出逢いが出来るのもマッキーさんと繋がっているお陰のような気がします。
この写真では判りませんが、扉のガラスは明治初期の歪みのある吹きガラスです。
ドアノブは、真っ白な陶磁器で出来ています。今は無いでしょうね。素敵です。
バルコニーには白亜の円柱、当時、きっととても目を引く建造物だった事でしょう。
そして、現代に於いても大変珍しい建築様式なのではと思います。
向かいにあるロッジ風の建物もとっても素敵だなぁと、この時、眺めていました。
この山桜の絵、素晴らしいなぁと眺めていたら、なんとご当主の御祖母様の作品だそうです。
そして、一階部分も拝見させていただきました。ご当主は学生時代までこの母屋で暮らしていたそうです。
子どもの頃は二階のお部屋で、大人になってからは一階のこのお部屋で過ごしたそうです。
壁の中には、本棚のスペースがあり、今でいう収納家具の走りですね。
ご当主さまのお父様のお友だちが集まられて、寄せ書きのように書かれた書だそうです。
絵を描かれる方、漢文を書かれる方、短歌を書かれる方、様々だったようです。
たくさんの文化人が、昔から小机邸に集われていたことが伺えますね。
ほの暗い室内は、何とも温かみがあって、そのまま時代が止まっているように感じました。
この電気コード、長いので『蝶々結びにしてみました。』と遊び心がしなやかです。
『あら、もしかしてこの電球フィラメントが付いてるんじゃないですか?』とまめちゃんが気が付きました。
『そうだよ。ほら、電気の傘越しにフィラメントが見えるでしょ』とご当主。
本当だ~!!わたしは背が足りなくて、つま先立ちしてやっと撮りました^_^;
部屋の片隅に存在感を持ってうずくまる家具、ライティングディスクだそうです。
群れ咲くシュウメイギクの白花、美しい絵です。
靴を履いて外に出た時、まめちゃんが玄関前の石畳に気が付きました。
これは息子さんが作られたと伺いびっくりしました。本当に芸術家一家です。
するとご当主が、あの美しい門前の石畳へと案内してくださいました。
緩やかな起伏を持って波打つような紋様、まるでヨーロッパの街角のようにお洒落です。
なんとこちらも、ご当主と息子さんで制作されたのだそうです。
『すごい、なんでもお出来になるんですね~!!』とわたしたちは感心しきりです!!
『いろいろ見て歩いて体も冷えたでしょう。時間が許せば、あちらで暖まって行きませんか?』と
ご当主がロッジ風の建物を指さされました。
わたしたちは、どうしようと顔を見合わせましたが、暗黙のうちにお邪魔することに決めていました。
入り口のランプ風の素敵な外灯には灯が燈っていました。
青い夜のとばりが迫って来ている、そんな火灯もし頃でした。
重厚そうな木の扉を押し開けて。『さぁ遠慮なく中へどうぞ』と招き入れてくださいました。
扉を一歩入ってわたしたちは『わぁ~!!』と思わず歓声をあげました。
なんと暖炉には赤々と薪が煮えていたのでした。
時おり火の粉を巻き上げて燃え続ける暖炉のノスタルジックなオレンジ色の炎に
わたしたちは魔法をかけられたのでした、
暖炉にくべられた薪が一本の木であることに驚きました。
『何故、木はこのように長い事燃え続けていられるのでしょう?』
『それは木々が長い年月、水を吸い上げ、太陽の光を浴びて生きて来たからです。
その年月の分だけ、その命の長さを燃え続けるからなのです。』
ご主人は、まず一枚の葉っぱを、暖炉にくべました。葉っぱはあっという間に燃えつきました。
次に杉の小枝を暖炉にくべました。小枝はしばらくの間、赤々と燃えていました。
なるほど…と、わたしたちは頷くのでした。
色々なお話を伺いながら、止まっていた時間がゆっくりと巻き戻されるかのように
動きはじめていくのを、わたしはぼんやりと感じていました。
ここは、ご当主の趣味の部屋でもあり、机やいすに始まり、色々な創作物がありました。
趣味のフィッシィングの道具の網や魚籠なども手づくりされていました。
螺鈿を埋め込む技法まで、詳しく教えていただきました。
まめちゃんは、ワークショップとかしていただきたいと感心していました。
そして林業のお話をしている時、下名栗の若い獅子舞役者をしている知り合いが、
ご当主から林業を教えていただいている教え子であることが判ったりと、何だか見えない糸で結ばれ
今日ここを訪ねることは最初から決まっていたのかも知れないという錯覚に落ちたりしたのでした。
すっかり外が暗くなって来てしまいました。わたしたちは居心地の良い空間に別れを告げて
この素晴らしい時間を与えてくださったご当主にお礼を申し上げ、お暇乞いのご挨拶をさせていただきました。
よかったらまた、ゆっくりと遊びにいらっしゃい。そう言って、ご当主はにこやかに見送ってくださいました。
中身の濃い不思議な一日でした。わたしたちは二人して夢を見ていたのかも知れません。
まめちゃんと別れて、一人電車に揺られて帰る時、そんなことを考えたのでした。